2008年06月14日
一つになる、という事
ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(3)」(20)
--「意志と表象としての世界」--
<第三巻 表象としての世界の第二考察>
--根拠律に依存しない表象、プラトンのイデア、芸術の客観--
<一つになる、という事>
直観する者と直観とが一つになったとしよう。その
とき認識されるものは、イデアである。そこには、
意志も、苦痛も、時間もない。この主観を「認識の
純粋主観」という。
イデアにおいては主観と客観とは区別されない。
(第三十四節)
参考:
<全ての問いはおのずから解決される>(鈴木大拙)
「問いを解くとは、それと一つになることである。この
一つになることが、そのもっとも深い意味において行
われる時、問う者が問題を解こうと努めなくとも、解
決はこの一体性の中から、おのずから生まれてくる。
その時、問いがみずからを解くのである。これが、
「実在とは何か」という問いの解決についての仏教者の
態度である。」」
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(3)」(20)
--「意志と表象としての世界」--
<第三巻 表象としての世界の第二考察>
--根拠律に依存しない表象、プラトンのイデア、芸術の客観--
<一つになる、という事>
直観する者と直観とが一つになったとしよう。その
とき認識されるものは、イデアである。そこには、
意志も、苦痛も、時間もない。この主観を「認識の
純粋主観」という。
イデアにおいては主観と客観とは区別されない。
(第三十四節)
参考:
<全ての問いはおのずから解決される>(鈴木大拙)
「問いを解くとは、それと一つになることである。この
一つになることが、そのもっとも深い意味において行
われる時、問う者が問題を解こうと努めなくとも、解
決はこの一体性の中から、おのずから生まれてくる。
その時、問いがみずからを解くのである。これが、
「実在とは何か」という問いの解決についての仏教者の
態度である。」」