2008年06月01日

眼と時間

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(2)」(7)
--「意志と表象としての世界」--

<第一巻 表象としての世界の第一考察>

<意志と表象>
「客観的な世界つまり表象としての世界は唯一の世界では
なく、たんに世界の一側面、いわば外側であり、世界は
なお全く別の面をもち、これこそ世界の最も内的な本質、
その核、物自体であるということである。
われわれはこの物自体を、そのもろもろの客観化の最も
直接的なものに従って意志と名づける。」
(第七節)

注:物自体:認識主観に現れた現象としての物ではなくて、
認識主観とは独立にそれ自体として存在すると考えられた物。
経験の彼方にありながら、現象の究極原因・真実在と考え
られるもの。(広辞苑)

<時間>
「眼がなければ、・・・以前ということも時間もなかった
のである。けれども、だからといって時間が始まりをもつ
わけではない。かえって、あらゆるは始まりは時間のなか
にあるのである。・・・
過去も認識する主観に依存する・・」
(第七節)

参考:<鈴木大拙の言葉>
「禅があっても禅がなくても、宇宙は相不変同じだと、諸君
は云うかも知れぬ。だが、自分は真面目の明言する、新しい
宇宙は、禅が四畳半の隠棲の室より眺め渡す度毎に、創られ
ると。」

panse280
posted at 20:45

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