2008年05月03日

弁道話(べんどうわ)

道元1200-1253
dougen

(8)「正法眼蔵」(123)完

<弁道話(べんどうわ)>
製作1231.8.15

増谷文雄氏全訳の「正法眼蔵全八巻」の
最後に置かれた、この「弁道話」は、
江戸時代になって見出された、道元初期の
ものである。

<坐禅ただそれだけ>
「宗門の正伝にいはく、「この単伝正直の仏法
は、最上のなかに最上なり。参見知識のはじめ
より、さらに焼香・礼拝・念仏・修懺(しゅさん)・看経をもちいず、ただし打坐して身心脱落する
ことをえよ。」」

<なぜ坐禅?>
「三世の如来たちは、いずれもみな坐禅によって
仏道を悟った・・・
それのみではない、西の方天竺、東の方中国の
もろもろの祖師たちも、みな坐禅によって仏道を
悟ったのである。」

<禅宗>
禅宗という名は、達磨大師が壁に向かって九年
坐したのを俗人たちが坐禅宗と言い、その後、
坐の字を省いて禅宗といった。

<坐禅の作法>
「普勧坐禅儀」によって行うがよろしい。

----------------------------------------------
>全巻を読み終わって一言

「正法眼蔵」は、「出家」のすすめである。
この書物は、出家しない者を相手にしない。

道元から何かしら学ぼうとする一般読者にとって
は「正法眼蔵随聞記」のほうが「正法眼蔵」より
はるかに勝れていると思う。

「正法眼蔵随聞記」、「正法眼蔵」の核心は一言。
<学道の人、貪なるべし>そしてひたすら坐禅!

panse280
posted at 19:26

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字