2008年04月29日

生死(じょうじ)

道元1200-1253
dougen

(8)「正法眼蔵」(119)

<生死(じょうじ)>
製作日不明

<生と死>
「生より死にうつると心うるは、これあやまり也。
生はひとときのくらいにて、すでにさきあり、のち
あり。故に、仏法の中には、生すなはち不生といふ。
滅もひとときのくらいにて、又さきあり、のちあり。
これによりて、滅すなはち不滅といふ。」

<仏になる簡単な方法>
「仏となるに、いとやすきみちあり。
もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、
一切衆生のために、あはれみふかくして、
上をうやまひ下をあはれみ、よろづをいとふこころ
なく、ねがふ心なくて、心におもふことなく、
うれふることなき、これを仏となづく。
又ほかにたづぬることなかれ。」

(上記増谷訳)
仏となるには、ごくたやすい道がある。それは、
もろもろの悪事をなさぬこと、生死に執着する心
のないこと、そして、ただ、生きとし生けるもの
に対してあわれみを深くし、上をうやまい、下を
あわれみ、なにごとを厭う心もなく、またねがう
心もなく、つまり、心に思うこともなく、また
憂うることもなくなった時、それを仏と名づける
のである。そして、そのほかに仏をもとめては
ならない。

panse280
posted at 21:01

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