2008年02月16日
菩提心
道元1200-1253
dougen
(4)「正法眼蔵」(48)
<身心学道(しんじんがくどう)>(2)
道元43歳
菩提心は、生死の境によって起こることがある。
また煩悩を離れることによって起こることがる。
発心は感覚や知識によって起こるのではない。
ただ菩提心が発するのである。
発菩提心は、有でもなく無でもなく善でも悪でも
ない。
「菩提心が発した時には、彼とともに彼に属する
全存在が菩提心を発する。それは、彼の周囲環境が
一転するのに似ているけれども、周囲環境の影響に
依って起こるのではない。
彼と環境とは互いに手をさしのべ、自ずと手を結び
あうのだ、これは異類中行の功である。
地獄・餓鬼・畜生・修羅などのなかにあっても
菩提心は発するのだ。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、身心学道07)
dougen
(4)「正法眼蔵」(48)
<身心学道(しんじんがくどう)>(2)
道元43歳
菩提心は、生死の境によって起こることがある。
また煩悩を離れることによって起こることがる。
発心は感覚や知識によって起こるのではない。
ただ菩提心が発するのである。
発菩提心は、有でもなく無でもなく善でも悪でも
ない。
「菩提心が発した時には、彼とともに彼に属する
全存在が菩提心を発する。それは、彼の周囲環境が
一転するのに似ているけれども、周囲環境の影響に
依って起こるのではない。
彼と環境とは互いに手をさしのべ、自ずと手を結び
あうのだ、これは異類中行の功である。
地獄・餓鬼・畜生・修羅などのなかにあっても
菩提心は発するのだ。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、身心学道07)