2004年07月30日

漱石の巨きな旅

吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto

「漱石の巨きな旅」

漱石の巨(おお)きな旅は二つ
だった。一つは、ロンドン留学
もう一つは、満韓旅行である。
ロンドン留学は、後進国日本の
文明開化のあらゆる問題を含んで
いた。それらは「文学論」の「序」
に集約されている、といっていい。


漱石の巨きな旅

<漱石の友達>
「恐らく、父(漱石)が死ぬまで「お前、
お前」と呼び棄てにしながら、学生時代
と少しも変わらぬ親しさを以って、付合
うことの出来た相手は、中村是公さん以外
に誰もいなかったのではないかと思う。」
(「父・漱石とその周辺」夏目伸六)

「大学時代、あれ程、仲の良かった
正岡子規に対してさえ、後年、父は、
「妙に気位の高かった男で、こちらが
無暗に自分を立てようとしたらとても
円滑な交際の出来る男ではなかった。」
(同上)

以下、漱石の年譜を改めて見る。
4男2女の子をもうけ、わずか10年の
作家生活、27才で肺病療養、30才で妻の流産、
31才神経衰弱、33才ロンドン留学、
36才神経衰弱、42,43,44才胃潰瘍、45才痔、
46、47、48才胃潰瘍、49才糖尿病、胃潰瘍
あ〜、なんたる病気の連続、合掌。

1867  慶応3年 漱石誕生
1884 18才 明治17年大学予備門予科入学
      中村是公と同級になる
1889 22才 正岡子規を知る
1890 23才 帝大英文科入学
1893 26才 大学卒業。大学院入学。東京高師英語教師就任
1895 28才 松山中学赴任
1896 29才 熊本第5高へ転任。結婚。
1899 32才 長女筆子誕生
1900 33才 ロンドン留学
1901 34才 次女恒子誕生
1903 36才 ロンドン留学より帰朝。第一高等学校教授
      三女栄子誕生
1905 38才 四女愛子誕生。「吾輩は猫である」起稿
1906 39才 「坊ちゃん」「草枕」
1907 40才 朝日新聞社入社
      長男純一誕生
      「野分」「虞美人草」
1908 41才 次男伸六誕生
      「坑夫」「夢十夜」
1909 42才 中村是公と満韓旅行
1910 43才 五女ひな子誕生
      「門」
1911 44才 五女ひな子急死
1912 45才 明治天皇死去
      「彼岸過迄」「行人」
1914 46才 「こころ」
1915 48才 芥川龍之介、久米正雄らが門下に。
      「道草」
1916 49才 「明暗」起稿。死去


panse280
posted at 10:14

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字