2008年01月20日
行仏威儀(ぎょうぶついぎ)
道元1200-1253
dougen
(3)「正法眼蔵」(21)
<行仏威儀(ぎょうぶついぎ)>
道元42歳
仏道修行において、身に具わった性が自ずと姿相・
立ち居振る舞いとなって外に現れること。
「諸仏かならず威儀を行足す。これ行仏なり。」
「諸覚者はかならずその一挙一動に亘(わた)って
威儀を具えるものだ、これが行仏である。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、行仏威儀01)
「古仏は云っている、「何事もそのまま身体に
受け取り、行いをその風流に任せよ」と。
・・・
空は隠れもない、山も水も隠れもない、だが隠れも
ない明々なものこそ、その真実は窺い知ることが困難
である・・・
秘密とは隠れもないもののうちに潜んでいるものなのだ。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、行仏威儀09)
「得者不軽微(とくしゃふきょうび)、
明者不賤用(めいしゃふせんよう)なり。」
「仏道を体得する者は軽微なものをも軽んずることが
ない、仏道に明なる者は何ものをも賤しむことがない。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、行仏威儀37)
dougen
(3)「正法眼蔵」(21)
<行仏威儀(ぎょうぶついぎ)>
道元42歳
仏道修行において、身に具わった性が自ずと姿相・
立ち居振る舞いとなって外に現れること。
「諸仏かならず威儀を行足す。これ行仏なり。」
「諸覚者はかならずその一挙一動に亘(わた)って
威儀を具えるものだ、これが行仏である。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、行仏威儀01)
「古仏は云っている、「何事もそのまま身体に
受け取り、行いをその風流に任せよ」と。
・・・
空は隠れもない、山も水も隠れもない、だが隠れも
ない明々なものこそ、その真実は窺い知ることが困難
である・・・
秘密とは隠れもないもののうちに潜んでいるものなのだ。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、行仏威儀09)
「得者不軽微(とくしゃふきょうび)、
明者不賤用(めいしゃふせんよう)なり。」
「仏道を体得する者は軽微なものをも軽んずることが
ない、仏道に明なる者は何ものをも賤しむことがない。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、行仏威儀37)