2008年01月19日
仏性(ぶっしょう)
道元1200-1253
dougen
(2)「正法眼蔵」(20)
<仏性(ぶっしょう)>
道元42歳
「釈迦牟尼仏は云われた、
「一切衆生(いっさいしゅじょう)、
悉有(しつう)、仏性(ぶっしょう)、
如来常住(にょらいじょうじゅう)、
変易(へんえき)有(あ)ること無し」と。
すなわち「一切衆生とは、類として存在するものであり、
普遍的に存在するものすべてであり、仏性である、あるが
ままのものであり常に変わることがない」と。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、仏性01)
仏性:覚りを得てはじめて具わるもの。
悉有(しつう:一切の存在を意味する。
「無常は即ち仏性である、有常は即ち善悪などすべての
分別心である」(石井訳、仏性26)
「あなた方が仏性を見ようと思うなら、まず我慢を除か
なければなりません」(石井訳、仏性28)
dougen
(2)「正法眼蔵」(20)
<仏性(ぶっしょう)>
道元42歳
「釈迦牟尼仏は云われた、
「一切衆生(いっさいしゅじょう)、
悉有(しつう)、仏性(ぶっしょう)、
如来常住(にょらいじょうじゅう)、
変易(へんえき)有(あ)ること無し」と。
すなわち「一切衆生とは、類として存在するものであり、
普遍的に存在するものすべてであり、仏性である、あるが
ままのものであり常に変わることがない」と。」
(「正法眼蔵1」(石井訳、仏性01)
仏性:覚りを得てはじめて具わるもの。
悉有(しつう:一切の存在を意味する。
「無常は即ち仏性である、有常は即ち善悪などすべての
分別心である」(石井訳、仏性26)
「あなた方が仏性を見ようと思うなら、まず我慢を除か
なければなりません」(石井訳、仏性28)