2008年01月17日

古鏡(こきょう)

道元1200-1253
dougen

(2)「正法眼蔵」(18)

<古鏡(こきょう)>
道元42歳
仏祖が伝え来るものを、古鏡をもって象徴する。

「過去は現在のうちにあり、現在は限りない過去
をも未来をも映すのだ。実相と空相とは一如である。」
(「正法眼蔵2」(石井訳、古鏡26)

「世には、磨いても鏡とならないものもあれば、鏡と
なることができるのに磨かないものもある。それが
仏教というものである。」(「正法眼蔵2」(増谷訳、古鏡)


南嶽「お前は何をしている」
馬祖「座っているだけです」
南嶽「座禅をして、どうするのか」
馬祖「仏になろうとおもいます」

南嶽は一片の瓦を拾ってきて、瓦を磨きだした。

馬祖「師は何をしているのですか」
南嶽「瓦を磨いている」
馬祖「瓦を磨いてどうするのですか」
南嶽「鏡にする」
馬祖「瓦を鏡にすることが出来ますか?」

南嶽「座禅をして仏になれるのか?」
(私訳:南嶽、馬祖の会話)

「磨いた瓦が鏡となった時、馬祖が仏になったのである。
また、馬祖が仏となった時、馬祖はたちまち馬祖その人
となったのである。そして、馬祖が馬祖となったその時、
座禅がたちまち座禅となった。」(増谷訳)

panse280
posted at 20:51

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字