2007年10月18日

戦争中最大の破壊攻撃

梯久美子1961-
kumiko kakehashi

「散るぞ悲しき」(6)完
--硫黄島総指揮官・栗林忠通--


硫黄島が陥落した。そして東京が・・・

3月9日、・・・
グアム、サイパン、テニアンの各基地を離陸した334機
のB-29爆撃機は、3月10日、午前0時過ぎ、東京上空に
達した。焼夷弾1,665トン、約84,000人の死者、約40万人
の負傷者、焼失家屋約26万7000戸。
東京大空襲の特徴は焼夷弾による火災が人々の命を奪った
ことである。
使用されたM69焼夷弾は日本の木造家屋を焼き払うために
実験を重ねて開発されたもので、屋根を貫通し着弾してから
爆発、高温の油脂が飛び散って周囲を火の海にする。

焼失面識は江東区・墨田区・台東区にまたがる約40Km2.
まず先発部隊が目標区域の輪郭に沿って焼夷弾を投下して
火の壁を作り、住民が逃げられないようにした上で、
内側をくまなく爆撃した。いわゆる絨毯(じゅうたん)爆撃
である。高温の油脂が燃えるのだから、ただの火事とは
違う。・・・人間の力で消火することなど不可能で、人々は
ただ逃げまどうしかなかった。


<戦争中最大の破壊攻撃>
「この攻撃は紀元64年にネロがローマに火をつけたよりも、
1664年のロンドンの大火、1812年のモスクワの火災、1871年
のシカゴの大火事、1906年のサンフランシスコの地震などの
いずれより残忍であった」
(米軍従軍記者リチャード・ニューカム「硫黄島」で
3月10日の東京大空襲について)

panse280
posted at 18:42

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