2007年05月30日

宮沢賢治,年譜より

1076 「宮沢賢治」(1)

吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto

「宮沢賢治」(1)

職業として、人造宝石の製造・販売を考えて
いた宮沢賢治。

年譜より

1896(明治29)岩手県花巻市に生まれる(長男)
1909(明治42)花城尋常高等小学校卒業。
6学年全甲、優等賞、精勤賞。県立盛岡中学入学。

1912(16歳、明治45,大正元年)
父あてに
「小生はすでに道を得候。歎異鈔の一頁を以て
小生の全信仰と致し候」と書く。

1914(18歳、大正3年)
看護婦に恋し、父に結婚の許可を求めて
戒められる。
島地大等編著「漢和対照妙法蓮華経」に感動。

1915(19歳、大正4年)盛岡高等農林学校に首席入学。

1916(20歳、大正5年)寮の部屋から法華経をあげる
賢治の力強い声が毎朝流れたという。

1918(22歳、大正7年)徴兵検査第二乙種で兵役免除。

1920(24歳、大正9年)
保阪あて書簡に
「世界唯一ノ大導師日蓮大上人」の「御命ニ
従ッテ起居決シテ御違背申シアゲナイコト」を
誓う。

1921(25歳、大正10年)家出決行。国柱会を訪れる。
本郷菊坂に下宿。出版社でアルバイトをしながら
創作に励み、これを「法華文学」と称した。
12月、雑誌「愛国婦人」に童話「雪渡り」その一
を発表、5円もらう。これが生前得た唯一の
原稿料といわれる。

1923(27歳、大正12年)一月、上京、本郷に下宿中
の清六に大トランクにつめた原稿を東京社へ持参
させるが、出版をことわられる。

1925(29歳、大正14年)
「多分は来春はやめてもう本当の百姓になります」
と手紙にかく。

1926(30歳、昭和元年)花巻農学校を依願退職。
十二月、上京、上野図書館で学習、タイプライター。
オルガン、エスペラント、セロを習う。

1931(35歳、昭和6年)嘱託技師として連日各地の
農業組合、肥料店を訪ねて宣伝につとめる。
9月、壁材料の宣伝・販売のため上京、たちまち
発熱し臥床する。死を覚悟し遺書を書く。
11月、「雨ニモマケズ」を手帳に書く。

1933(37歳、昭和8年)9月21日13:30永眠

宮沢賢治


panse280
posted at 21:57

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