2007年04月23日

一遍

吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto

「親鸞復興」(5)


<一遍>
「法然からいえば弟子の弟子、孫弟子に当たり
ますが、一遍上人という人がいます。・・・
一遍にとって<浄土>とは、死んだあとでゆける
ところだという意味でいえば法然と同じです。
・・・
それでは<浄土>とはどういうところか、どう
いうふうに願ったらゆけるのかということが
問題になってくるわけです。
そこに至って、・・・・
一遍という人は一切の物を全部放棄してしまえ、
放棄してしまって名号を願えば、つまり執着を
どこにももたないようにして名号を願えば、願
ったその場所、その時刻、その瞬間がすでに
浄土なんだ、という言い方をしています。
・・・
一遍がいちばん傾倒したのは空也上人です。
・・・
一遍は空也上人の書いたものをいつも懐にもって
いたというエピソードがあります。」


「じぶんは人々とおなじようには住む処ももた
ないし、心に執着心ももたないし、それから特
別のお寺、修行場で修行するのではない、街中
を歩けば、その歩いてる街中、ゆくところ全部
が道場、修行場になってしまう、それがじぶん
の考え方だと空也上人は言っているわけです。
それが一遍がとても傾倒した言葉です。」

panse280
posted at 00:16

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