2007年04月16日

善人ぶるな

吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto

「最後の親鸞」(4)

<知の放棄>
「法然と親鸞のちがいは、たぶん<知>
(「御計(おんはからひ)」をどう処理
するかの一点にかかっていた。
法然には成遂できなかったが、親鸞には
成遂できた思想が<知>の放棄の仕方に
おいて、たしかにあったのである。」


<善人ぶるな>
「「たとえ牛盗人といわれても、あるい
は善人、あるいは後世を願う聖とか、仏
法を修行する僧侶とみえるように振舞って
はならない」と(親鸞聖人は)云われた」
(「改邪鈔」3 吉本訳)

panse280
posted at 08:00

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