2007年04月12日
最後の親鸞は「教行信証」にはいない
吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto
「最後の親鸞」(1)
<最後の親鸞は「教行信証」にはいない>
「わたしが「教行信証」の核心として読み
得たものは二つある。
ひとつは<浄土>という概念を確定的に位
置づけたことである。
・・・
(もうひとつは)「涅槃経」に説かれた大
乗教の究極の<空無>の理念を是認するた
め、ひとつの手続きを確定した。・・・」
(昭和五十六年六月二十一日吉本隆明)
「「教行信証」は、内外の浄土門の経典か
ら必要な抄出をやり、それに親鸞の註釈を
くわえたものである。
・・・
最後の親鸞は、そこにはいないようにおも
われる。」
最後の親鸞
takaaki yoshimoto
「最後の親鸞」(1)
<最後の親鸞は「教行信証」にはいない>
「わたしが「教行信証」の核心として読み
得たものは二つある。
ひとつは<浄土>という概念を確定的に位
置づけたことである。
・・・
(もうひとつは)「涅槃経」に説かれた大
乗教の究極の<空無>の理念を是認するた
め、ひとつの手続きを確定した。・・・」
(昭和五十六年六月二十一日吉本隆明)
「「教行信証」は、内外の浄土門の経典か
ら必要な抄出をやり、それに親鸞の註釈を
くわえたものである。
・・・
最後の親鸞は、そこにはいないようにおも
われる。」
最後の親鸞