2007年04月10日

宮沢賢治と日本

吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto

「吉本隆明全著作集(15)初期作品集」(12)完


<宮沢賢治論>(8)完

・宮沢賢治と日本

「創造することは宿命に対する諦観を意味し
ました。
・・・
宮沢賢治には暗澹とした苦渋はありません。
彼の作品には冷く鋭い感覚が自然の風物と
交流し、途方もない空想と奇抜な大らかな
構想は、精神の世界から離れた不思議な安
堵さを感じさせました。
・・・
もし創造という言葉が冠せられるとしたら、
彼の作品程その名にふさはしいものはなか
ったでせう。彼の作品は徹頭徹尾無からの
生成に外なりません。
・・・
彼に取ってはあらゆるものは本質的に善で
も悪でもありませんでした。
・・・
彼は真善美をも彼の作品に中に示しません。
・・・
彼の作品は「ただ行はれる巨きなもの」で
した。
・・・
彼が人類の幸福を言はうが、実在を否定し
やうが少しも無理な感じを伴ひません。
それは彼が足を地から離して流転している
からなのです。彼の思想の場が何処に変ら
うと、それは唯彼の一つの相を現はしてい
るに過ぎないのです。
・・・
私は苦悩を背負ひ切れなくなったとき彼の
ふところに帰って行くやうでした。けれど
彼は苦悩を解いて呉れる人ではないことを
私は知りました。
・・・
彼の門はつねに開いているのですが余りに
高く到底私には這入れる門ではありません
でした。
・・・
私の青春期初期の貴重な幾年かは宮沢賢治
との連続的な格闘に終始しました。
・・・
宮沢賢治には祖国がない。けれど彼が日本
の生んだ永遠の巨星であることは疑ふべく
もありませんでした。
彼の非日本的な普遍性に対して私は考へつ
づけました。
・・・
そして私は終に一つの結論に達しました。
それは独創することは彼の場合には一つの
宿命への諦観を意味したのだといふ一事で
した。
彼は一切の伝統をしりぞけ、既成の思想や
手法をしりぞけ、新たに自己の一点から創
造するときに、それが歴史的な生命と必ず
や一縷の繋りを示すことが出来ることを彼
が体認していたといふ事なのです。」

panse280
posted at 08:23

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