2007年04月09日

宮沢賢治と十牛図

吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto

「吉本隆明全著作集(15)初期作品集」(11)


<宮沢賢治論>(7)

・宮沢賢治は全ての人に理解され、全ての
人に理解されない。

「すべてのものに愛をそそぐといふことは
一面には明らかに誰をも愛さないといふに
外なりません。
・・・
私は眼前に宮沢賢治と相対したとしたらさ
ほど難解な人ではないと確信致しました、が
問題はこれだけでは解決しません。
・・・
彼の跡した業跡と風格を考へるとき、追へ
ども追へども尚不思議な未知の混沌を彼から
感ぜずには居られません。
・・・
私は彼(賢治)を攻撃する声は永遠に聴く
ことはないやうな気がします。」


私注:
”宮沢賢治は難解な人ではない”という確信
は、もしも彼と相対したとき、彼から”孤独”
を感じることはできないだろう、という吉本
氏の直感である。
常人には、決して持つことが出来ない真の孤
独を持ちながら、孤独を感じさせない宮沢賢
治の境地とは「十牛図」の返本還源?入てん
垂手?


十牛図:作者廓庵師遠禅師は、大随元静禅師
(1065〜1135)の法嗣で、臨済、第十二代目 の
法孫、生年寂年は不明。「十牛図」とは、禅
において悟りを牛に例えた修行道程図。

第九:返本還源(へんぽんげんげん)
修養を尽くして元に帰る。
真の人間に立ち帰った境地。

第十:
入てん垂手(にってんすいしゅ)
「てん」は汚染した俗界、垂手とは手を垂れる
こと。俗界に自ら飛び込み人々を助け導く最高
の境地。


panse280
posted at 08:01

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