2007年02月26日

山岡鉄舟の生涯

勝部真長1916-
mitake katsube

「山岡鉄舟の武士道」(2)


<山岡鉄舟の生涯>
1836-1888(明治21年)
御蔵奉行小野朝右衛門の五男として江戸、本所
大川端に生まれる。
10才、北辰一刀流を学ぶ
13才、禅を学ぶ
15才、岩佐一亭より入木道五十二世、「一楽斉」を名乗る。

注:「入木道」:書道と同義。
書聖・王羲之(おうぎし)が板に書を書いたところ、板を
削っても木の中まで墨がしみこんでいたという故事が語源。

16才、母死去(41才)
17才、父死去(父の遺産、3500両)
20才、江戸、講武所、千葉周作のもとで剣を修業。
   山岡静山に槍を学ぶ。
   山岡の妹英子(ふさこ)の婿となる。
28才、浪士隊(新撰組の前身)の取締役。
   浅利又七郎に出会う。
・・・
勝海舟、西郷隆盛との出会い、無血開城、
茨城県参事、伊万里県権・・・
・・・
37才、西郷のたっての依頼により明治天皇に仕える。

45才、三月三十日、大悟、滴水和尚の印可を受ける。
   浅利又七郎の壁をついに破る。
48才、全生庵(谷中)、鉄舟寺(清水)建立。
49才、白隠禅師の国師号宣下に尽力。
51才、大蔵経の書写を始める。
53才、胃ガン、2月より流動食のみ。7月17日死去。

会葬者5000人、「全生庵殿鉄舟高歩大居士」

panse280
posted at 21:57

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