2007年02月25日

山岡鉄舟の武士道

勝部真長1916-
mitake katsube

「山岡鉄舟の武士道」(1)


世には今も鉄舟ファンが多い。

<浅利又七郎>
鉄舟は剣の人である。
9才で、真影流を学び、10才で玄武館の竜虎と
称せられた井上八郎に北辰一刀流学び、
17才で江戸、千葉周作の道場で北辰一刀流を
続け鬼鉄と恐れられた。
その鉄舟を28才から17年間(明治十三年三月
三十日まで)苦しめた浅利又七郎とは?

一刀流は伊藤一刀斉に始まり
二代目、神子上典膳(みこがみてんぜん)
三代目、小野次郎右衛門忠常
これ以後、小野派一刀流と呼ばれる。
六代目、中西忠太が出て、中西派が生まれる。

中西派十二代目浅利又七郎
(若狭小浜藩酒井家剣術師範)
中西派十三代目千葉周作


浅利又七郎から「極意一刀流無想剣」の許しを
得、それを「無刀流」と名付けた。
明治21年(1888年)7月19日、早朝、辞世の句
「腹張りて苦しき中に明烏(あけがらす)」を詠む。
7:30am 沐浴、白衣に着替え。
9:00am皇居に向かって結跏趺坐。
9:15am結跏趺坐のまま、往生を遂げた53才。

鉄舟:身長188センチ体重105キロ

山岡鉄舟の武士道


panse280
posted at 16:58

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