2006年11月12日

其の貫道する物は一なり

鈴木大拙1870-1966
daietsu suzuki

「禅と日本文化」(31)


<其の貫道する物は一なり>
「百骸九竅(ひゃくがいきうけう)の中に物有り、かり
に名付けて風羅坊といふ。
誠にうすものの風に破れやすからん事をいふにやあらむ。
かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。
ある時は倦みて放擲せん事を思ひ、ある時は進んで人に
勝たむ事を誇り、是非胸中に戦うて是が為に身安からず。
暫く身を立てむ事を願へども、これが為にさへられ、
暫く学んで愚を暁ん事を思へども、是が為に破られ、
終に無能無芸にして只此の一筋に繋る。

西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の絵に
於ける、利休が茶における其の貫道する物は一なり。

しかも風雅におけるもの、造化に随ひて四時を友とす。
見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずと
いふ事なし。
像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあ
らざる時は鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造
化に随ひ造化に帰れとなり。」
(芭蕉「笈の小文」)




風雅とは一般に生活の洗練という意味である。
「それは生活と自然の清らかな享楽であり、さびやわび
に対する憧れである。物質的慰安や感覚主義の追求では
ない。・・・風雅の人はそれゆえ、花と鳥、岩と水、雨
と月を友とする。」

panse280
posted at 10:29

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