2006年09月22日

智と愚

鈴木大拙1870-1966
daietsu suzuki

「日本的霊性」(23)


<智と愚>
「鎌倉時代における日本的霊性の覚醒は、知識人
から始まらないで、無智愚純なるものの魂からで
あったということに注意したいのである。
この点のおいて、法然は日本霊性史の転換期を画し
た人物であると言ってよい。
彼にはまだ平安期思想の残滓(ざんし)がないでも
なかったが、彼なくしては親鸞は出世し得なかった
のである。彼と親鸞とを一個の霊性的人格と見なし
てよいという理由はここにある。」


「愚痴で無学といわれる人々の霊性への途は割合に
直接であるが、知性人の場合になると、その知性が
なかなかに妨げとなって、彼らの霊性は容易に目覚め
ない。」


「霊性の覚醒は、ひとたびは知性的否定を経過しなけ
ればならぬのである。それゆえ一不通では、本当の
意味での霊性の覚醒はないとも言える。」

「日本的霊性的自覚の最初の表現が、即ち法然上人の
「一枚起請文」にほかならぬのである。」

panse280
posted at 20:53

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