2006年08月28日

般若直観--無分別の分別

鈴木大拙1870-1966
daisetsu suzuki

「禅」(27)


<般若直観--無分別の分別>
「”如”には、純理性的な要素がある。”如”は、
単なる実在の詩的瞑想でもなければ、実在への
没我同化でもない。そこには覚知するものがあり、
この覚知が”般若”直観である。
こうして”般若”直観を、「無分別の分別」と定義
してもよいかもしれない。
ここに、全体がその各部分とともに直観される。
ここに、差別されぬ全体が、無限に差別され個別化
された部分とともに現前する。
全体は、ここで、みずからを多くの部分に分化して
ゆくが、だたしそれは汎神論的、もしくは宇宙偏在論
的な方法においてではない。
全体はその各部分の中において失われず、また個別化
が全体を見失うこともない。
「一」はそれ自身の外に出ずしてそのまま一切であり、
またわれわれの周囲の無限に変化した事物、変化しゆく
事物の一つ一つは、「一」を具現しつつ、なお
それぞれの個別性を保っている。」


補記:「如」
空(くう)が一切を否定、あるいは拒絶するものと
すれば如は、一切を受け入れ、一切をうけがうもの
である。如とは物事をあるがままに見ることである。


panse280
posted at 19:37

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