2006年08月25日

禅は刹那主義ではない

鈴木大拙1870-1966
daisetsu suzuki

「禅」(24)

<禅は刹那主義ではない>
「禅は無為を擁護したことは一度もない。」

「禅は、ある意味では、刹那主義とみられるかも
しれないが、これは一般に解釈されている意味とは
異なる。
禅は、刹那の中に永遠を有するが、他方、刹那主義
には永遠はない。
刹那主義者にとっては、流れ去る一瞬一瞬は、ただ
流れ去って行くだけで、そこには永遠が伴わない。
ゆえに刹那主義者は悪い意味で無責任であり、
反道徳的である。
瞬間の意識に支配されるがゆえに、かれらは自由でも
なく、自己の主でもない。
・・・
自由なる禅者は、・・・無限を円周とする円の中に
生きる。だから、かれはどこにあっても、つねに実在
の中心にいる。かれが実在そのものである。
・・・
刹那主義は、絶対の現在が何を意味するかを知らない。
禅は、この絶対の現在に生き、ゆえに”如”を覚知する。」


補記:「如」
空(くう)が一切を否定、あるいは拒絶するものと
すれば如は、一切を受け入れ、一切をうけがうもの
である。如とは物事をあるがままに見ることである。

panse280
posted at 21:03

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