2006年06月26日

鈴木大拙没後40年

道の手帳・鈴木大拙没後40年・
松が岡文庫 編

「鈴木大拙」(1)

<巻頭言(出光昭介)より抜粋>
漢方医の父は、男子4人に「易」より採った
元・享・判・貞を太郎に冠して名付けた。
末子の大拙は、貞太郎。

大拙は円覚寺の釋宗演老師より頂いた居士号。

大拙は6才で父を、20才で母を亡くした。

第四高校で、終生の友、西田幾多郎と出会うも、
廃藩と銀行破産に遇い退学、小学校英語教師となる。
東京専門学校(早稲田大学)で坪内逍遙の英文学
講座を聴く。

明治26年、釋宗演老師のシカゴ講演原稿を英訳し
夏目漱石にみてもらう。
「その時分、円覚寺の帰源院に夏目漱石が来て
参禅をしておって、わしが翻訳したものを
見てもらったことがあるな。」(大拙)

スウェデンボルグの日本への紹介者。

昭和14年、夫人、ビアトリス没
昭和20年、西田幾多郎没
昭和41年、大拙、聖路加病院で没

戒名「也風流庵大拙居士」
遺骨:
東慶寺、
金沢市野田山鈴木家墓地
高野山奥院墓地

panse280
posted at 19:57

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