2006年06月16日

私は何故、物書きになったか

吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto

「読書の方法」(1)

<私は何故、物書きになったか>
「自分の周囲を見渡しても、同類はまったくいない
ようにおもわれたのに、書物の中では、たくさん同類
がみつけられた。
そこで、書物を読むことに病みつきになった。
深入りするにつれて、読書の毒は全身を侵しはじめた、
といまでもおもっている。
・・・
書物の中にはたくさんの同類がみつけられるというのは
なぜだろうか。
ひとつの答えは、書物の書き手になった人間は、
じぶんとおなじように周囲に同類はみつからず、また、
喋言ることでは他者に通じないという思いになやまされた
人たちではないだろうか、ということである。
もうひとつの答えは、自分の周囲にいる人たちも皆、
実は喋言ることでは他者と疎通しないという思いに
悩まされているのではないか。ただ、外からはそう
視えないだけではないのか、ということである。
後者の答えに思いいたったとき、私は、はっとした。
・・・

もし、わたしが書き手としてすこしましなところがある
とすれば、私が本当に畏れている人たちが、ほかの
書き手ではなく、後者の答えによって発見した自分を
自分の外で視るときの自分の凡庸さに映った人たちで
あることだけに基づいている。」

読書の方法 なにをどう読むか


panse280
posted at 20:33

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