2006年04月14日

儒教的芸術の傾向と次元

岡倉天心1863-1913
tenshin okakura

「東洋の理想」(7)

<儒教的芸術の傾向と次元>
「儒教の理想は、二元論から生まれたその均斉と、
本能的に部分を全体に隷属せしめることの結果たる
その静寂さをもつもので、必然的に、芸術の自由を
制限するものであった。倫理への奉仕に縛られて、
芸術は、自然、工芸的なものとなった。」
もしも、道教的精神というものがなかったならば、
それらは、常に装飾的なものの方向に傾いたに
ちがいない。
「しかし、たとえそれが装飾的なるものにとどまって
いたにしても、それはけっしてブルジョア的低俗の
次元にまで堕ちることはしなかったであろう。
なんとなれば、アジアの芸術は、それが持つ普遍
没個我なるものの宏大な生命によって、そうした
共感の欠如というようなもっとも縁遠い危険からは、
永遠に救われているからである。」

panse280
posted at 21:13

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