2006年02月02日
忍ぶ恋
三島由紀夫1925-1970
yukio mishima
「葉隠入門」(15)
<忍ぶ恋>
「恋の至極は忍恋と見立て候。逢ひてからは恋の
たけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。」
「恋のたけ」とは微妙な表現である。
宮本武蔵の「たけくらべ」(「葉隠入門」(7)<行き過ぎの哲学>)
を連想させる。
いまの恋愛はピグミーの恋になってしまった。
恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ
少ないほど恋愛はイメージの広がりを失い、障害を
乗り越える勇気を失い、社会の道徳を変革する革命的
情熱を失い、その内包する象徴的意味を失い、また同時
に獲得の喜びを失い、獲得できぬことの悲しみを失い、
人間の感情の広い振幅を失い、対象の美化を失い、
対象をも無限に低めてしまった。(三島)
yukio mishima
「葉隠入門」(15)
<忍ぶ恋>
「恋の至極は忍恋と見立て候。逢ひてからは恋の
たけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。」
「恋のたけ」とは微妙な表現である。
宮本武蔵の「たけくらべ」(「葉隠入門」(7)<行き過ぎの哲学>)
を連想させる。
いまの恋愛はピグミーの恋になってしまった。
恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ
少ないほど恋愛はイメージの広がりを失い、障害を
乗り越える勇気を失い、社会の道徳を変革する革命的
情熱を失い、その内包する象徴的意味を失い、また同時
に獲得の喜びを失い、獲得できぬことの悲しみを失い、
人間の感情の広い振幅を失い、対象の美化を失い、
対象をも無限に低めてしまった。(三島)