2005年10月23日

寿陵余子

荘子bc369-bc286
soushi

「荘子」(40)

私の記憶では、芥川竜之介の書斎に掛かっていた
額には「寿陵余子」と書かれていた。

つまり、俗物は「荘子」を読んではいけない。
という警告である。俗物にとって「荘子」を
読む、ということは蚊(か)に山を背負わせる、と
いうことなのだ。

「寿陵余子」とは、人(荘子)の歩き方を真似
しているうちに、自分の歩き方を忘れて、歩け
なくなった、というお話である。

<俗物は荘子を理解しようなどと思ってはいけない>
「寿陵(じゅりょう)の余子(よし)のあゆみを
邯鄲(かんたん)に学びしを聞かざるか。まだ国
能を得ざるに、またそのもとのあゆみを失う。
ただ匍匐(ほふく)して帰るのみ。今、子も去ら
ざれば、まさに子のもとを忘れ、子の業を失なわ
んとすと。」(秋水篇第十七)

(君はあの)寿陵の町の若者が趙(ちょう)の都
の邯鄲まで出掛けていって、そこの歩き方を学ん
だという話を聞いたことはないかね。彼はその国
のやり方を会得できないうちに、そのもとの歩き
方も忘れてしまったので、四つんばいで帰るほか
はなかったという。
いま君も(荘子にひかれて)ここから離れないで
いると、(それを会得できないばかりか)君のも
とのやり方を忘れ、君の仕事もなくすることにな
るだろう。

追記:ことわざ:「邯鄲の歩」
人のまねをして成功しないことを笑う


panse280
posted at 10:49

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