2005年09月18日

真人とは何だ?(2)

荘子bc369-bc286
soushi

「荘子」(14)

<真人とは何だ?(2)>
昔の真人は、生をよろこぶということを知らないし、
死を憎むということも知らなかった。
生まれてきたからといって嬉しがるわけではなく、
死んでいくからといって厭がるわけでもない。
悠然として去り、悠然として来るだけである。
どうして生まれてきたのかその始まりを知らず、
死んでどうなるかその終わりを知ろうともしない。
生命を受けてはそれを楽しみ、万事を忘れてそれを
もとに返上する。
こういう境地を、「心の分別で自然の道理を歪める
ことをせず、人のさかしらで自然の働きを助長する
ことをしないもの」というのである。
こうした境地にある者を真人というのだ。
このような人は、その心は万事を忘れ、その姿は
静寂そのもので、その額はゆたかに大きい。
ひきしまった清々しさは秋のようであり、温かな
やさしさは春のようであって、感情の動きは四季の
移りゆきのように自然である。
外界の事物の動きにつれて適切に応じ、それがいつ
までも果てしなくつづいてゆくのだ。


panse280
posted at 20:55

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