2004年04月30日

鈴木大拙

299d5271.gif鈴木大拙1870-1966
zaisetsu suzuki

「哲学の限界と禅の効用」
「禅」ちくま文庫
「日本的霊性」岩波文庫
「禅と日本文化」岩波新書


「禅は、仏教の精神もしくは真髄を相伝するという
仏教の一派であって、その真髄とは、仏陀が成就
した<悟り>を体験することにある。」

「禅の意図するところは、つねには智慧が眠っている
意識の奥底から、その智慧を喚び覚ますことにある。」

「禅」ちくま文庫


「意識的でありながらしかも無意識であること、
これが<平常心>である。」

「道とは、完全な”悟り”である。」

「禅は、ようするに、自己の存在の本性を見抜く術で
あって、それは束縛から自由への道を指し示す。」

「有限なるものを離れて無限なるものはない。」

「われわれがけっして見落としてはならない一事がある。
すなわち、貧の平和(けだし、平和はただ貧においてのみ
可能である)は、あなた方の全人格の力をつくしての
はげしい戦いをたたかい抜いてのちに、はじめて得られる
ものである。
怠惰や、放任安逸な心の態度から拾い集めた満足は、
もっとも嫌悪すべきものである。
そこに禅はない。」

「自分の所存では、禅は一切の哲学および宗教の究極
するところである。
すべての知的努力は、もしそれが何か実際上の効果を
もたらすものであるとするならば、ついには禅に到らねば
ならぬ。否、むしろ禅から出発せねばならぬ。
一切の宗教的信仰もまた、もしそれが、いやしくもわれわれ
の実際生活において、有効に、かつ生き生きと働き得るも
のであることを立証しようというのなら、禅から生まれ出で
ねばならぬ。
だから禅は、必ずしも仏教徒の思想と生活の源泉であるに
とどまらない。」

「知性は、そのあるべき場においては有用であるが、それが
宗教の全域を支配しようとする時には、生命の源を枯渇させて
しまう。」

「禅は、宗教感情を正しい道に導くものであり、知性に生命を
与えるものである。」

「浄土門では、<信>がすべてであるが、禅ではこれに反して
<見>もしくは<知>の働きが強調される。
ただしこれは論理的思考、論証の意味ではなく、直観的把握
をいう。」

「禅は無為を擁護したことは一度もない。」

「意識を伴わないいわゆる無意識なるものは存在しない。」

「華厳は、たがいに融通し、たがいに浸透し、たがいに関連し、
たがいにさまたぐることなしという考え方に基づく。
この一切の相依相関を説く哲学が正しく理解される時に
<愛>が目覚める。」

以上、全て、「禅」からの引用。

私が語ることは、何もない。
ただ、言えることは、禅への道の案内者として
鈴木大拙、を推薦したい。

panse280
posted at 22:17

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