2004年07月09日

立花隆氏へレッドカード

倉田百三1891-1943
hyakuzo kurata

「愛と認識との出発」

「善の研究」を”読み通す価値がない”
と言った立花隆氏に反論します。

「善の研究」は名著です。

以下、立花氏のコメントを読むと
、理解できない悔しさが憎しみと
なってプッツンしています。


愛と認識との出発
出家とその弟子

法然と親鸞の信仰 上 (1)
法然と親鸞の信仰 下  講談社学術文庫 156

<立花隆>
読者が選ぶ岩波文庫100冊より
《日本の哲学書のスタンダード・ナンバー
というと、西田幾多郎『善の研究』で、こ
のリストにもちゃんと入っているが、私は
この本に一票を投じた人に次のように問い
たい。「あなた本当にこの本が好きなの
ですか?」「あなた本当にこの本を最後
まで読み通しましたか?」と。
答えは「ノー」の人が多いはずだ。
私も答えは「ノー」だし、読み通せなくて
当たり前(読み通す価値がない)と思って
いる――私はこの人の「純粋経験」という
コンセプト自体が誤りだと思うし、
哲学的推論・議論の仕方も誤っていると
思う。だから、若い人がこういう本を読む
ことは百害あって一利なしと思う(哲学と
はこういうものだという誤った思い込みに
おちいる)》(61頁)

<倉田百三>
「それは『善の研究』であった。私は何心
なくその序文を読みはじめた。
しばらくして、私の瞳は活字の上に釘付
けにされた。見よ!
『個人あって経験あるにあらず、経験あって
個人あるのである。個人的区別よりも経験
が根本的であるという考えから独我論を脱
することが出来た』と、ありありと鮮かに
活字に書いてあるではないか。
独我論を脱することが出来た?!
この数文字が私の網膜に焦げ付くほどに
強く映った。私は心臓の鼓動が止まるかと
思った。私は喜びでもない悲しみでもない
一種の静的な緊張に胸が一ぱいになって、
それから先きがどうしても読めなかった。
私は書物を閉じて机の前に凝っと坐って
いた。涙がひとりでに頬を伝った。
私は本をふところに入れて寮を出た。
珍らしく風の落ちた静かな晩方であった。
私は何とも云えない一種の気持ちを守り
ながら、街から街を歩き廻った。
その夜、蝋燭を灯して私は、この驚くべき
書物を読んだ。電光のような早さで一度
読んだ。何だかむつかしくてよく解らなかった
けれど、その深味のある独創的な、
直観的な思想に私は魅せられてしまった。
その認識論は、私の思想を根底より覆す
に違いない。そして私を新しい明るい
フィールドに導くに相違ないと思った。
この時、私はものしずかなる形而上学的
空気につつまれて,柔らかく溶けゆく私
自身を感した。」(愛と認識との出発)


panse280
posted at 08:48

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