2004年06月28日

アートの終焉、そして利休への道

1c70ef39.gif赤瀬川原平1937-
genpei akasegawa

「アートの終焉、そして利休への道」

芸術作品を作る意欲を失った赤瀬川
原平氏は路上観察にとりつかれて
いた。
「どうしてこんなことが面白いのか。
この異常なほどの楽しさは何を示して
いるのか。
ふつうに見れば何でもない物品である。
すでに見飽きたような路上の光景である。
その中に新しい価値が埋もれている。
その落差が頭脳に嬉しい。
自分の常識が壊される快感があるのである。
先入観が打ち壊されて、中から全く新しい、
それを見る自分が飛び出してくる。
そんなことを引き起こしてくれるのが、路上
の無意識の物品である。」



千利休―無言の前衛

<トマソンとヨーロッパ>

「ヨーロッパに行ったとき、オックスフォード、
ロンドン、パリとトマソン探査を試みたのだが、
どうも様子が違うのである。
無用の階段、無用の門、無用の庇など
あるにはあるが、とりわけそれをトマソンという
気にはならないのである。
もちろん理論的にいってトマソンであるから
写真には撮る。でも感激は薄い。
あらかじめの理論構築があるからその物件
をトマソンと思うが、彼の地でトマソンという
概念が自然発生する気配はないのである。
要するに、風土ということだろうが、無用に
なってなお存在する、そういう危うい、
あいまいなものを見つめる空気というのが
流れていない。
ヨーロッパにはそういうあいまいさの余地が
ないのだ。もちろん生活のリズムの中で、
町の中にも人々の感情の中にも、余裕と
いうものは組み込まれている。
しかしそれはちょっと違う。
解釈のつかぬままそのものを楽しむ、
その解釈の余地というものを温存する
システムがない。すべてが人々の意志に
強くつながれて出来ているような気がする。」

次回へ続く


panse280
posted at 15:08

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