2005年07月04日

4人の子供が生後まもなく死んだ

モンテーニュ1533-1592
Michel Eyquem de Montaigne

「エセー」(126)-完

「エセー」が初めて日本に紹介されたのは、昭和10年(関根秀雄訳)。
デカルト、モリエール、ルソー、モンテスキュー、ジード、カミュ、
サルトルも「エセー」の愛読者。
特に、パスカルの「パンセ」については、聖書から来ていないものは
全て「エセー」から来ているとまでいわれた。
哲学者ジョン・ロックはモンテーニュの教育論(1-26)によって彼自
身の教育論を書いている。
ドイツでは、ゲーテ、ショウペンハウエル、ニーチェが影響を受けて
いる。

<モンテーニュの生涯>
無常なり<4人の子供が生後まもなく死んだ>

1533.02.28生まれ、里子に出される。
1554 21歳、高等法院参議となる。(父、ボルドー市長となる。)
1565 32歳、 フランソワーズ。ド・ラ・シャセーニュ21歳と結婚。
1568 35歳、父死去。
1570 37歳、長女出産。2ヶ月後に死ぬ。
1571 38歳、次女生まれる。
1572 39歳、「エセー」の執筆はじめる。
1573 40歳、三女生まれるが、七週間で死ぬ。
1574 41歳、四女生まれるが3ヶ月後に死ぬ。
1578 45歳、腎臓結石の発作を起こす。「ガリヤ戦記」熟読。
1583 50歳、ボルドー市長に再選される。
      六女が生まれるが、数日で死ぬ。
1585 52歳、ボルドー市にペスト発生、全市民非難。
1588 55歳〜読書に熱中。
1590 57歳、アンリ4世よりの要職要請を断る。
1592.09.13 59歳で死去。

著述に専念できたのは、53歳以後の6年間。


panse280
posted at 20:11

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