本居宣長
「思想の歴史6 」(9)
--東洋封建社会のモラル-
石田一良編
1970.5.25 再版発行(平凡社)
<本居宣長>
国学というものは契沖(宣長が国学の祖という)
から春満、真渕から宣長にいたって完成する。
「歌の本体、政治をたすくるためにもあらず、
身をおさむる為にもあらず、ただ心に思ふこと
をいふより外なし」(宣長)
「歌は物のあはれをしるよりいでくるもの也」(宣長)
「源氏物語は、物のあはれをしるといふ一言に
てつきぬべし」(宣長)
物のあはれをしるとは「事にふれてそのうれしく
かなしき事の心をわきまえしる」ことである。
宣長は「新古今集」を歌道の一番とした。
「神道はただ豊かで大らかに優雅なものであって
歌の趣がそれである。」
宣長はいう「孟子、程子、朱子から伊藤仁斎や
荻生徂徠にいたるまで、儒者はみなその所説を
称して聖人の道というが、いまだかって天下社会
を益したためしがない。」
--東洋封建社会のモラル-
石田一良編
1970.5.25 再版発行(平凡社)
<本居宣長>
国学というものは契沖(宣長が国学の祖という)
から春満、真渕から宣長にいたって完成する。
「歌の本体、政治をたすくるためにもあらず、
身をおさむる為にもあらず、ただ心に思ふこと
をいふより外なし」(宣長)
「歌は物のあはれをしるよりいでくるもの也」(宣長)
「源氏物語は、物のあはれをしるといふ一言に
てつきぬべし」(宣長)
物のあはれをしるとは「事にふれてそのうれしく
かなしき事の心をわきまえしる」ことである。
宣長は「新古今集」を歌道の一番とした。
「神道はただ豊かで大らかに優雅なものであって
歌の趣がそれである。」
宣長はいう「孟子、程子、朱子から伊藤仁斎や
荻生徂徠にいたるまで、儒者はみなその所説を
称して聖人の道というが、いまだかって天下社会
を益したためしがない。」