2017年08月31日

桐の家紋

「思想の歴史6 」(5)
--東洋封建社会のモラル-
石田一良編

1970.5.25 再版発行(平凡社)

<桐の家紋>
--政府はなぜ、秀吉の家紋を採用したのか--

信長は源氏の足利将軍を追放します。
しかし、このとき将軍義昭から将軍家の桐家紋の
使用を許されて終生これを愛用します。
信長ははじめ、「藤原」を名乗っていましたが、
次には「平」をなのります。

信長を継いだ秀吉は信長同様に桐の家紋を愛用しま
した。
明治以降、桐紋が日本政府の紋章として使われるよう
になりました。

政府が、秀吉の家紋をつかっていますが、それは
天皇家のものとして使っています。

桐紋の「桐」とは、古代中国の神話に出てくる鳥・
鳳凰が止まる木とされていて、昔から神聖なものと
して扱われていたそうです。

もともと桐紋は菊紋とともに天皇家のみが使ってい
たものでした。その朝廷の政府という繋がりで、
明治時代以降、政府が桐紋を使っているだけなのです。

追記:秀吉が今の政府が使用している「五七桐」に
   改めたのは、姓を豊臣に改めた時です。
   それまでは、「五三桐」でした。

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