2016年07月06日

スペインと秀吉

「地球日本史(1)」(17)

責任編集 西尾幹二 1935-
kanji nishio

2005.5.20 3刷発行(扶桑社)

<スペインと秀吉>
信長の時代、天正少年使節団はフィリップ2世に
2度拝謁している。
スペインはフィリップ2世(1556-1598)の時、
絶頂を迎え、彼の死とともに衰退する。
フィリップ2世はシチリア王、ポルトガル王(1580年 - 1598年)
ナポリ王、ネーデルラント統治者、ミラノ公
、イングランド王でもあった。

余談だが、フィリピンは彼の名に由来する。

スペインが動けば世界は震える時代に、極東の小国
、日本の秀吉は刀や薙刀、甲冑などと共に書簡を
送っている。その中に、シナを征服する計画がある
ことも気軽に書き添えている。
1588年、スペインの無敵艦隊が敗北し、混乱して
いなければ、1596年、長崎においてキリスト教徒26人
の処刑は日本を危うくしたかもしれない。

秀吉の死によって挫折したが、朝鮮・中国の征服は
西欧によって征服されると日本が危ないとの危機感
(大東亜戦争に似ている)からだったとの説もある。

余談:フィリップ2世はドストエフスキーの
「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」のモデル。

フィリップ2世は芝居やオペラに常に悪役として
登場する人物である。彼の脇役のアルバ公は
「血の裁判」(異教徒18000人の処刑)で有名である。

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