2016年05月31日

男の禅語

「男の禅語」(1)
平井正修   1967-
shousyu hirai

2016.6.10 1刷発行(知的生きかた文庫)

<無>
--自由--
「明恵上人は、「人は”あるべきようは”の7文字
を持つべきなり」と云いました。」

職場では、職場の顔を持ち、家では家の顔を持つ、
キャバクラではキャバクラの顔を持つ。
それが、「無」ということです。

キャバクラで、部長と部下が「会社の顔」で
飲むことは、自由ではありませんね。


<喝(かつ)>
--本物の自信--
今では、聞くことは殆どありません。
同じ言葉でも、誰が言ったか、そしてその人は
自信を持っている人なのか、が問題です。

喝という言葉に意味はありません。
自信がない人が、難しい問題を話している時が
あります。聞いている人は退屈です。
そんな時、「ワン」と一言答えると、何か、とっても
まとを得た答えのように感じることがあります。

喝はワンの逆バージョンです。

臨済宗では、葬儀の最後に「喝」と大声を出します。

確か、夏目漱石の葬儀に参列した人の多くが、
最後の「喝」がとても印象的だったといいます。

そこには、万感の思いがその一語にこもっていた
のでしょう。

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