男の禅語
「男の禅語」(1)
平井正修 1967-
shousyu hirai
2016.6.10 1刷発行(知的生きかた文庫)
<無>
--自由--
「明恵上人は、「人は”あるべきようは”の7文字
を持つべきなり」と云いました。」
職場では、職場の顔を持ち、家では家の顔を持つ、
キャバクラではキャバクラの顔を持つ。
それが、「無」ということです。
キャバクラで、部長と部下が「会社の顔」で
飲むことは、自由ではありませんね。
<喝(かつ)>
--本物の自信--
今では、聞くことは殆どありません。
同じ言葉でも、誰が言ったか、そしてその人は
自信を持っている人なのか、が問題です。
喝という言葉に意味はありません。
自信がない人が、難しい問題を話している時が
あります。聞いている人は退屈です。
そんな時、「ワン」と一言答えると、何か、とっても
まとを得た答えのように感じることがあります。
喝はワンの逆バージョンです。
臨済宗では、葬儀の最後に「喝」と大声を出します。
確か、夏目漱石の葬儀に参列した人の多くが、
最後の「喝」がとても印象的だったといいます。
そこには、万感の思いがその一語にこもっていた
のでしょう。
平井正修 1967-
shousyu hirai
2016.6.10 1刷発行(知的生きかた文庫)
<無>
--自由--
「明恵上人は、「人は”あるべきようは”の7文字
を持つべきなり」と云いました。」
職場では、職場の顔を持ち、家では家の顔を持つ、
キャバクラではキャバクラの顔を持つ。
それが、「無」ということです。
キャバクラで、部長と部下が「会社の顔」で
飲むことは、自由ではありませんね。
<喝(かつ)>
--本物の自信--
今では、聞くことは殆どありません。
同じ言葉でも、誰が言ったか、そしてその人は
自信を持っている人なのか、が問題です。
喝という言葉に意味はありません。
自信がない人が、難しい問題を話している時が
あります。聞いている人は退屈です。
そんな時、「ワン」と一言答えると、何か、とっても
まとを得た答えのように感じることがあります。
喝はワンの逆バージョンです。
臨済宗では、葬儀の最後に「喝」と大声を出します。
確か、夏目漱石の葬儀に参列した人の多くが、
最後の「喝」がとても印象的だったといいます。
そこには、万感の思いがその一語にこもっていた
のでしょう。