2015年09月30日

徳川家光

「物語日本史(下)」(11)

平泉澄 1895-1984
kiyoshi hiraizumi

1996.10.15 第26刷発行(講談社学術文庫)
初版は1970年出版の「少年日本史」(平泉氏76歳)

<徳川家光>
二代秀忠の二男、家光が三代将軍になったのは父の
お陰というよりも家康の決断によってでありました。

家康が葬られた日光に東照宮は立派なものではあり
ませんでした。

秀忠の死後、家光は東照宮を56万8000両、銀百貫目、
米1000石で、1年半かけて改修しました。(世間では
13年間をかけて改修したといわれた)

家康は200万両を残して死にました。
死後、尾張、紀伊、水戸に3当分するはずでしたが、
尾張と紀伊に30万、水戸に15万を与え、久能山に
貯蔵してある100万両は13年かけて、すべて江戸に
引取ました。

大藩からは同輩と見做されていたのは秀忠までで、
家光は生まれながらに将軍でした。

事実上、徳川幕府は家光から始まりました。
家光は武家諸法度にのっとり、実弟の忠長さえも、
日常不謹慎の為、55万石を没収し高崎に流しました。

改修した日光の東照宮は家光の威厳を示しました。

家光は1651年、48歳で亡くなりました。
将軍職は29年間でした。

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