<国書にみる「天皇」
「物語日本史(上)」(6)
平泉澄 1895-1984
kiyoshi hiraizumi
1998.6.22 第31刷発行(講談社学術文庫)
初版は1970年出版の「少年日本史」(平泉氏76歳)
<国書にみる「天皇」>
聖徳太子が憲法十七条を作った翌年の605年、シナの
隋は文帝の次男の煬帝に変わりました。
その時、使節の小野妹子が煬帝に送った文書が
有名な「日出づる処の天子、書を日没する処の
天子に致す。つつがなきや。」というものです。
煬帝は怒りを抑えながらも、小野妹子帰朝に使節を
同行させ、その使節が持ち帰った国書が、
「東の天皇、敬って西の皇帝にもうす。」
というものです。
平泉澄 1895-1984
kiyoshi hiraizumi
1998.6.22 第31刷発行(講談社学術文庫)
初版は1970年出版の「少年日本史」(平泉氏76歳)
<国書にみる「天皇」>
聖徳太子が憲法十七条を作った翌年の605年、シナの
隋は文帝の次男の煬帝に変わりました。
その時、使節の小野妹子が煬帝に送った文書が
有名な「日出づる処の天子、書を日没する処の
天子に致す。つつがなきや。」というものです。
煬帝は怒りを抑えながらも、小野妹子帰朝に使節を
同行させ、その使節が持ち帰った国書が、
「東の天皇、敬って西の皇帝にもうす。」
というものです。