2010年03月09日

学問の天下人、中江藤樹

「本居宣長(上)」(12)
小林秀雄
hideo kobayashi
1902-1983
平成4.5.25.発行(新潮社)

<人に勝つより自分に克て>
--学問の天下人、中江藤樹--

人に克つ空しさを知った秀吉が死んで十年後、
中江藤樹(1608-1648)が生まれた。貧農の
倅に生まれ、独学して、学問上の天下人になった。

「眼に見える下剋上劇から、眼に見えぬ克己劇を
(藤樹は)創り上げた。」

「学問は天下第一等、人間第一義、・・・」と
藤樹は弟子に教えている。

「厳密に志を立、勇猛に己に克去て、一毫も艱難
苦労を憚るべからず。己に克に当ては、其身命を
も顧惜すべからず。況や其他の小利害をや。」(藤樹)

「夜半の読書百遍、これ以外に彼(藤樹)は学問
の方法を持ち合わせてはいなかった。」

「(藤樹は)戦国の生活経験の実りある意味合を
捕らえた最初の思想家と言える。」

<官学の祖、林羅山(1583-1657)と私学の祖、中江藤樹>
林羅山は藤原惺窩(せいか)の弟子の朱子学者で、
藤樹が生まれた頃には、既に家康の側近にあった。
彼は排仏家だったが、幕命によって剃髪し道春と改名
した。大阪夏の陣のきっかけとなった、京都方広寺の
鐘銘に、家康呪詛の銘文を発見し、将来の叙爵のきっかけ
を作った。
藤樹は羅山の現実主義な言動を烈しく批判したが、羅山は
田舎の小役人の言葉など歯牙にもかけなかっただろう。


posted at

2010年03月

2010年03月08日

2010年03月07日

2010年03月06日

2010年03月05日

2010年03月04日

2010年03月03日

2010年03月02日

2010年03月01日