「新古今」は危険である
「本居宣長(上)」(32)
小林秀雄
hideo kobayashi
1902-1983
平成4.5.25.発行(新潮社)
<「新古今」は危険である>
「もし真淵の「万葉」尊重が、「新古今」軽蔑
と離すことが出来ないと言えるなら、宣長の
「新古今」尊重は、歌の伝統の構造とか組織とか
呼んでいいものと離す事ができない。
・・・
真淵が「万葉」に還れと言う、はっきりした
意味合では、宣長に、「新古今」に還れと言える
道理はなかった。実際、彼は、そんな口の利き方
を少しもしていないし、却って、詠歌の手本と
して、「新古今」は危険であると警告している。」
小林秀雄
hideo kobayashi
1902-1983
平成4.5.25.発行(新潮社)
<「新古今」は危険である>
「もし真淵の「万葉」尊重が、「新古今」軽蔑
と離すことが出来ないと言えるなら、宣長の
「新古今」尊重は、歌の伝統の構造とか組織とか
呼んでいいものと離す事ができない。
・・・
真淵が「万葉」に還れと言う、はっきりした
意味合では、宣長に、「新古今」に還れと言える
道理はなかった。実際、彼は、そんな口の利き方
を少しもしていないし、却って、詠歌の手本と
して、「新古今」は危険であると警告している。」