2010年02月08日

漱石と鴎外

「芥川龍之介」(11)
小島政二郎
masajiro kojima
1894-1994
2008.8.10.1刷(講談社文芸文庫)

<漱石と鴎外>
「漱石が、日本でも一流の英文学者であったこと
はご存知だろう。そればかりでなく、有数な漢文
学者でもあった。吉川幸次郎博士の説によると、
漱石の漢詩は、明治、大正時代の大勢の漢詩人の
中で、最もシナの漢詩の神髄を会得した本当の
詩人だそうだ。そんな学殖なんかオクビにも
出さないで、彼はごくあたりまえの文章を書いて
いる。
・・・
漱石と違って、鴎外は・・・ドイツ語と、漢文学と
を身につけていた。こっちの方は、学殖をオクビに
出さないような性格ではなかった。
・・・
「イタ・セクスアリス」や「魔睡」を書いていた
頃は、まだ文章が小説の文章になっていなかった。
・・・ところが「雁」で、あの小説の文章でなかった
文章が、初めて小説の文章になった。あの理智と学者
の鴎外が、初めて小説家になったのだ。小説的に生活
することを悟ったのだ。・・・鴎外は・・・五十前後
になっていたことと思う。」

「芥川の望んでいるような簡潔な文章の模範的な
文章を書く人を探したら、森鴎外のほかにあるまい。
文章だけの話ですよ。鴎外の文章にくらべれば、漱石
の文章は簡潔でない。
・・・
私(小島)に云わせれば、漱石の文章は小説を書く
文章だ。物語作者であった芥川が漱石の文章に行か
なかったのはそのせいだ。
・・・
鴎外の文章には、芥川の好きな古典的な美しさが
あった。・・・あの古典的な文章は小説の書ける
文章ではない。幾度か失敗した後に、小説の書けない
文章で鴎外は小説を書くことに成功した。私に云わ
せれば、それは実に不可能なことだった。」

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