2009年03月31日

退屈は生存の無価値の証明である

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(13)」(296)
--「余録と補遺:哲学小品集 第二巻」--(13)
--Parerga und Paralipomena--

<退屈は生存の無価値の証明である>
「感覚的な享楽でさえ、たえず追求することに
その本質があり、その目標に行きつけば、すぐ
消滅するのだ。さてわれわれが追求か知的なかか
り合いか、この二つの場合のいずれにも没頭せず、
生存そのものに突き返されるたびごとに、われわれ
は生存の無内容と虚無性をうむを言わせず確認さ
せられる、これがすなわち退屈なのだ。
・・・
権力者たちの装身具や宴会にみられる豪奢華麗も
また、つまるところは、われわれの生存の本質的な
みじめさを免れようとする無駄な試みにほかならない。
というのは、たくさんのロウソクに照らし出された
宝石・真珠・飾り毛・深紅のビロード、踊り子達や
軽業師、仮面の行列等々は、明るい日の光で見た
場合、一体何であろうか?」
(第百四十六節)

<人生は幻滅を目指している>
「至福に夢みる子供時代、うきうきと楽しい青年
時代、辛苦の壮年時代、肉体的に故障もでてきて、
悲惨な老年時代、そして断末魔の苦しみ。
・・・
すべては明らかに幻滅を目指しているのだ。」
(第百四十六節)

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