利己的な動物はいない
ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(9)」(185)
--「倫理学の二つの根本問題」--(10)
--学士院懸賞論文1840--道徳の基礎について--
<利己的な動物はいない>
「人間においても動物においても、その主要かつ根本的な
衝動は、エゴイズム、即ち、存在と安寧とへの衝迫である。
・・・
利己という語は、理性によって導かれるかぎりのエゴイズム
を、つまり、エゴイズムの反省によってその目的を計画的に
追求する能力を与える理性に導かれるかぎりのエゴイズムを
意味する。
だから、動物をエゴイスティックだということはできても、
利己的だとはいえない。」
<享楽とは>
「真の必要がなければ、真の享楽も存在しない」
(ヴォルテール)
<義務の概念の哲学的定義>
「それを行なわないことがすでに不当となるような
行為がある。そして、このような行為が、義務なので
ある。これこそ、義務の概念の真の哲学的定義である。」
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(9)」(185)
--「倫理学の二つの根本問題」--(10)
--学士院懸賞論文1840--道徳の基礎について--
<利己的な動物はいない>
「人間においても動物においても、その主要かつ根本的な
衝動は、エゴイズム、即ち、存在と安寧とへの衝迫である。
・・・
利己という語は、理性によって導かれるかぎりのエゴイズム
を、つまり、エゴイズムの反省によってその目的を計画的に
追求する能力を与える理性に導かれるかぎりのエゴイズムを
意味する。
だから、動物をエゴイスティックだということはできても、
利己的だとはいえない。」
<享楽とは>
「真の必要がなければ、真の享楽も存在しない」
(ヴォルテール)
<義務の概念の哲学的定義>
「それを行なわないことがすでに不当となるような
行為がある。そして、このような行為が、義務なので
ある。これこそ、義務の概念の真の哲学的定義である。」