悪意ある人間の根本要素
ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(3)」(46)
--「意志と表象としての世界」--
<第四巻 意志としての世界の第二考察>
--自己認識に達した場合、生への意志の肯定と否定--
<悪意ある人間の根本要素>
悪意ある人は、彼自身の人格と他の全ての人格との
間の全面的な区別に固執している。
激しくおびただしい意欲は、激しくておびただしい
苦しみをともなう。きわめて悪意のある人の顔には
内面の苦しみが刻みつけられている。彼らが外面的
な幸福をすっかり手に入れた時ですら、擬装する事
を辞めればただちに不幸に見えるのである。
彼らの内面的な苦悩は他人の苦しみを見ることで
癒される。そして他人の苦しみはいまや彼にとって
目的そのものになる。
「この喜びは単なるエゴイズムに由来するのではなく、
私欲にためのものではない喜びなのである。かかる
喜びこそ本来的な悪意であって、それが昂ずると
残忍さになる。」
arthur schopenhauer
「ショウペンハウアー全集(3)」(46)
--「意志と表象としての世界」--
<第四巻 意志としての世界の第二考察>
--自己認識に達した場合、生への意志の肯定と否定--
<悪意ある人間の根本要素>
悪意ある人は、彼自身の人格と他の全ての人格との
間の全面的な区別に固執している。
激しくおびただしい意欲は、激しくておびただしい
苦しみをともなう。きわめて悪意のある人の顔には
内面の苦しみが刻みつけられている。彼らが外面的
な幸福をすっかり手に入れた時ですら、擬装する事
を辞めればただちに不幸に見えるのである。
彼らの内面的な苦悩は他人の苦しみを見ることで
癒される。そして他人の苦しみはいまや彼にとって
目的そのものになる。
「この喜びは単なるエゴイズムに由来するのではなく、
私欲にためのものではない喜びなのである。かかる
喜びこそ本来的な悪意であって、それが昂ずると
残忍さになる。」