2008年05月31日

唯物論の不合理

ショーペンハウアー 1788-1860
arthur schopenhauer

「ショウペンハウアー全集(2)」(6)
--「意志と表象としての世界」--

<第一巻 表象としての世界の第一考察>

<主観、客観、物質>
「すべてを認識するがなにものによっても認識されぬ
もの、これが主観である。」(第二節)

「あらゆる客観の本質的な、したがって普遍的な形式
は、時間、空間および因果性である。」(第二節)

「物質の本質は時間と空間の結合」(第四節)

<表象>
「われわれは客観からも主観からも出発せずに表象から
出発した。表象はそれら両者をすでに含み、前提としている。
というのは客観と主観に分かれるということが表象の第一の、
最も普遍的かつ本質的な形式であるからである。」
(第七節)
表象:知覚に基づいて意識に現れる外的対象の像。(広辞苑)

<従来の哲学>

「(従来の)哲学はすべて客観または主観から出発し、
したがって一方を他方から、しかも根拠律に従って
説明しようと試みたのであったが、これに対しわれわれ
は、客観と主観とのあいだの関係を根拠律の支配から
除き、客観だけをその支配下に残して置くのである。」
(第七節)

<唯物論の不合理>
「唯物論の根本的な不合理は、それが客観的なものから
出発し、客観的なものを究極の説明根拠とする点にある。」
(第七節)
「「主観がなければ客観はない」という命題は、あらゆる
唯物論を永久に不可能にするものなのである。」
(第七節)

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