2007年11月10日

森鴎外の失策

渡部昇一
shoichi watanabe 1930-

「かくて昭和史は蘇る」(8)


<日本軍を脅かした脚気>
海軍軍医、高木兼寛(かねひろ)はイギリスに留学し、
ロンドンの医学校を抜群の成績で卒業した実力の持ち
主であった。

「当時の水兵は貧しい家の出身者が多い。したがって、
白米は軍隊に入って、はじめて食べたという人がほとん
どである。そのような状態であるから、配給の飯は食べて
も、副食費は貯蓄に回すのが普通で、おかずと言えば
漬物程度のものしか食べていない。」

結論として、高木は脚気対策として米・麦併用を主張した。
「この結果、海軍での脚気発生率は激減し、日清・日露戦争
でも脚気の患者は皆無に近かった。」

<森鴎外の失策>
しかし、陸軍は高木に意見に耳をかさなかった。
「”高木潰し”の急先鋒となったのが、あの森林太郎、
つまり森鴎外であったということを強調しておきたい。」

その結果、日清戦争では4,000人近くの兵士が脚気で死んだ。


参考:高木兼寛の伝記小説「白い航跡(吉村昭)」(講談社刊)

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