正定聚
吉本隆明1924-
takaaki yoshimoto
「親鸞復興」(10)
<正定聚>
「親鸞は、第一に、臨終念仏という考え方を
まったく否定しています。それからもうひとつ、
死ぬときになって一生懸命信仰して念仏を称え
ると、阿弥陀さまがやってきて、それでじぶん
を浄土へつれていってくれるという、そういう
源信以来の考え方をまったく否定しています。
どういう言い方をするかというと、ようするに
臨終を待つことはない。それから来迎を頼むこ
ともない。じぶんの信心が定まったときに往生
が定まるんだ、ということです。
それでは信心が定まった、そうしたらどうなる
んだ?ということがありましょう。
それにたいして親鸞はすぐに躊躇なく、
「正定聚の位に就けるんだ」と言います。
「正定聚」の位というのは何なんだ?
それは、死ねばすぐそのまま浄土へ直通できる、
そういう場所だと言っています。
それは生きながら信心が定まったときに、もう
そこにいっている。だから、生きながらそこに
ゆけるし、同時にその場所は、浄土に直通して
いる場所なんだということになります。」
takaaki yoshimoto
「親鸞復興」(10)
<正定聚>
「親鸞は、第一に、臨終念仏という考え方を
まったく否定しています。それからもうひとつ、
死ぬときになって一生懸命信仰して念仏を称え
ると、阿弥陀さまがやってきて、それでじぶん
を浄土へつれていってくれるという、そういう
源信以来の考え方をまったく否定しています。
どういう言い方をするかというと、ようするに
臨終を待つことはない。それから来迎を頼むこ
ともない。じぶんの信心が定まったときに往生
が定まるんだ、ということです。
それでは信心が定まった、そうしたらどうなる
んだ?ということがありましょう。
それにたいして親鸞はすぐに躊躇なく、
「正定聚の位に就けるんだ」と言います。
「正定聚」の位というのは何なんだ?
それは、死ねばすぐそのまま浄土へ直通できる、
そういう場所だと言っています。
それは生きながら信心が定まったときに、もう
そこにいっている。だから、生きながらそこに
ゆけるし、同時にその場所は、浄土に直通して
いる場所なんだということになります。」