2006年08月11日

なぜ禅は生まれたか

鈴木大拙1870-1966
daisetsu suzuki

「禅」(13)


<なぜ禅は生まれたか>
「中国人には、インド人のように、神秘や超自然論
の雲の中に身を隠す才はない。
荘子と列子は、古代の中国において、もっとも
インド的な心に近かったが、かれらの神秘主義は、
壮大さ、精妙さ、天翔る想像力の高さにおいて、
インド大乗仏教者の足もとにもおよばない。
・・・
維摩や文殊、さては阿羅漢のどのひとりにも
匹敵し得るほどの中国の聖者、哲人は、歴史に
記されていない。
・・・
中国人は、徹底して実際的である。かれらは、
”悟り”の教えをその日常生活に当てはめて解釈する
独自の方法を持たねばならなかった。
もっとも深い精神経験の表現として、かれらは、
どうしても、禅を生み出さないわけにはいかなかった
のである。」


「彼ら(中国人)が、仏教を”悟り”の教えとして
内に消化理解しはじめた時、その具体的かつ実際的な
心に開かれた唯一の方向は、禅を生み出すことで
あった。」


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