2005年02月09日
楽しかったのは4週間
木原武一1941-
buichi kihara
「幸福の探究」(1)
「ゲーテは75歳のとき、これまでの生涯で本当に
楽しかったのは4週間もなかった、と言っている。」
幸福の探究―幸福に生きるための条件とは
buichi kihara
「幸福の探究」(1)
「ゲーテは75歳のとき、これまでの生涯で本当に
楽しかったのは4週間もなかった、と言っている。」
幸福の探究―幸福に生きるための条件とは
「幸福を得ようとして努力することは空しいことで
ある。幸福を得ようとすればするだけ、人間は不幸
になるだけである。なぜなら、そういう努力は自分
が幸福ではないことを思い知らせるにすぎないから
である。」
「幸福になるためには、何か特別なことをする必要
はない。平穏無事に、清く正しく美しく生きている
こと、これが幸福というものであって、そこにはこ
とさら幸福という言葉をさしはさむ必要もないくら
いである。」
「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知ら
ないから、なのである。要するに、普通に生きるこ
とのなかにこそ、幸福がある。・・・「普通に生き
る」とはどういうことなのか。それは、自分自身に
合った生き方をする、ということである。」
ある。幸福を得ようとすればするだけ、人間は不幸
になるだけである。なぜなら、そういう努力は自分
が幸福ではないことを思い知らせるにすぎないから
である。」
「幸福になるためには、何か特別なことをする必要
はない。平穏無事に、清く正しく美しく生きている
こと、これが幸福というものであって、そこにはこ
とさら幸福という言葉をさしはさむ必要もないくら
いである。」
「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知ら
ないから、なのである。要するに、普通に生きるこ
とのなかにこそ、幸福がある。・・・「普通に生き
る」とはどういうことなのか。それは、自分自身に
合った生き方をする、ということである。」