2005年01月30日

「泉」は「泉」でなければ

d0cc1d3b.gif篠原資明
(京都大教授・美学・哲学)
(朝日新聞2005.01.28)

「マルセル・デュシャンの表題考」に反論する
--あの「泉」は「泉」ではない--

<篠原氏は、デュシャンの「泉」を「噴水」に改める
べきだ、と主張する>
「デュシャンの便器は、英語でfountainである。・
・(それは)人工的に作られたものという含みが強
い。・・・この問題(表題の変更)にこだわるのは
デュシャン自身が、「大ガラス」(デュシャンの大
作名)と噴水に並々ならぬ思いを寄せていたように
感じるからだ。」


<翻訳の奥深さ>
かって、森鴎外は方々から、ドイツ語本の翻訳につ
いて、「あなたの翻訳は間違っている」と指摘をう
けたものだ。しかし、鴎外は平然としていた。
何故なら、そんなことは百も承知だったからだ。

「泉」とは何なのか。

昨年末、一つのアンケート結果がメディアを賑わせた。
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2004.12.01 ロンドン、ロイター電、ターナー賞のス
ポンサーとジンの製造会社が、世界の芸術をリードす
る500人を対象に、最もインパクトのある現代芸術
作品のアンケート調査をおこなった。その結果は、
1位 デュシャン「泉」1917
2位 ピカソ「アヴィニョンの娘たち」1907
3位 アンディー・ウォーホル「Marilyn Diptych」1962
4位 ピカソ「ゲルニカ」1937
5位 マティス「赤いアトリエ」1911
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「泉」はただの男性便器である。既製品(レディーメイド)
である。しかし、この作品?こそが欧米の芸術に死刑宣告
を下したのだ。
何にでも、屁理屈をねつ造できる欧米の高度な論理がついに
サジを投げ出した瞬間である。

この作品の革命性は、超論理と感性の文字化による芸術から
の離反にある。
篠原氏主張の「噴水」という改名が不的確な理由は、
1 真の翻訳とは、言外の意を尽くすことである。
2 「噴水」より「泉」のほうが文字の形として作品に近い。
3 fountainを辞書(英次郎)で引くと「泉、噴水」とある。
4 「大ガラス」との関係が不明確である。

私見では、便器(人工)に「泉」(自然)というふざけた
名前を付けたこと自体が、芸術をこき下ろしていて爽快で
あった。もし、「噴水」だとしたら、その”爽快感”は
なかったことだろう。

デュシャン関連:http://panse.livedoor.biz/archives/2004-09.html
2004年09月08日「あまりに日本的な”芸術家”」
2004年09月17日「つくること・選ぶこと」
2004年09月18日「観客、それが問題だ」


panse280
posted at 09:24

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